クライストチャーチの代表的なレストランとして数々の賞に輝いているHay's。入れ替わりの激しいレストラン業界で、15年の長きにわたって高評価を受け続け、特にラム料理においては圧倒的な支持を集めています。この店のオーナーにして料理人でもあり、またNew Zealand School of Food & Wine の校長でもあるCelia Hayさんは、お父さんがクライストチャーチの市長を務めたほどの、知る人ぞ知るニュージーランドでも数少ない名家の出。代々受け継がれる成功の秘訣とは、いったいどこにあるのでしょうか?
【Profile】 幼いころから一族のビジネスを身近に見て育つ。'85年に始めたデリカテッセンの店が好評で88年には2号店を開店。その後'94年にHay'sレストランの原型となるカフェをオープンした。翌'95年、レストランの上階に料理学校New Zealand School of Food & Wineを開校。近年アカロアに新しいコンセプトのビストロも開店し、3児の母としても多忙な毎日。 |
はじめは手作りのジャムから
私の家族は古くからビジネスや慈善事業などに携わっており、祖父も父も功績を認められてナイトの称号(Sir)を授かっています。クライストチャーチ市民ならタウンホールの「James Hay Theatre」をご存知かもしれませんが、これは市長を15年務めた父がホール建設の際、祖父にちなんで命名したものです。
祖父が興した事業のひとつにデパート経営があったため、私も小さい頃からよくお店を手伝っていました。そのせいか、小売業にはもともと興味がありましたし、自分がいずれビジネスを始めるだろうという確信もありましたが、大学時代はこれといった目標もなく、もちろん将来レストランを開くことになるとは夢にも思いませんでした。卒業後はアメリカやヨーロッパ、インドなどを見てまわったのですが、今振り返るとその3年間に各国の食文化を通じて得た知識や経験が、私にとっての転機になったように思います。
帰国後に始めた生活雑貨の店で、手作りのジャムなどを作って店の片隅に置いてみたところ評判になり、小売りのみならずニュージーランド全国に卸すまでに成長しました。そこで1985年にデリカテッセンを開きました。当時はまだスーパーなどで、いわゆる「グルメフード」は手に入らない時代。そんな時に私の店ではフランス産のチーズや手作りのパテなどを売っていたもので、週末には店の外に行列ができるほどの人気となりました。3年後に2号店を開き、料理のデモンストレーションを始めたのもちょうどその頃です。これは毎冬の恒例イベントとなり、後の料理学校設立の母体となりました。その後、現在レストランとして営業している場所で、1994年にHay's Caféを開き、翌年お店の2階にNew Zealand School of Food & Wine を開校しました。
趣味が仕事になって
Hay'sレストランが15年に渡って高い評価を得られている理由のひとつは、ラム肉の質にあると思います。当店のラムは、Hay家が1843年から所有しているファームのもの。安定した供給のため、信頼できるもう1軒のファームとも契約して、両方から仕入れています。一頭丸ごと仕入れることで様々な部位を使うことができ、料理の幅も広がります。もちろん接客スタッフの力も欠かせません。常にお客様に目を配り、きめ細かい「おもてなしの心」を忘れないようにしています。その他は特別なことをしているわけではなく、「それぞれが今できることをキチンとする」というのが唯一の秘訣でしょうか。
現在はレストラン経営者の他に、調理を担当するシェフであり、料理学校の校長であり教師でもあります。また、1年半ほど前にはアカロアにビストロ&ショップをオープンしたので、週末はたいていそこにいます。この店はなにより景色が素晴らしいので、ちょっとした気分転換には最適ですね。
そんなに働きづめだと仕事とプライベートの区別がつかないだろうと言われることもあるのですが、この仕事が心底好きなので、まったく苦にはならないしストレスもたまりません。まさに趣味が仕事になってしまったという感じです。そうして出会った人と人とのつながりを大事にして、いつも誰かの役に立てるようになりたいと思っています。
経営者として、母として
Hay家の一員であることで、生まれながらに経営感覚というものが身に付いているのかもしれませんし、家族からたくさんのことを自然に学び取りました。たとえば「不平不満を言わない」ということ。雇われている側なら、「これは自分の仕事ではない」などと、嫌な仕事を避けることもできますが、オーナーには選択の余地はありません。とにかくやるしかない。常に自分に厳しく、自らを奮い立たせていなければならないので、一般の従業員よりずっと辛い立場なのだと自覚しています。当然責任も重くプレッシャーも大きいのですが、私はあまり悲観的にならず、むしろそれを糧にするようにしています。ちょっとしたことにすぐ幸せを見つけてしまうタイプなので、得な性格かもしれませんね。
私生活では15才、14才、5才の3人の子供がいますが、私のような働く母親はある意味21世紀の犠牲者でもあると思っています。20年前なら女性は黙って家を守っていればよかったのかもしれませんが、今の時代はなかなかそういうわけには行きませんからね。ただ私自身は、今まで仕事を辞めて家庭に入ろうと思ったことは一度もありません。もちろんこれは周りのサポートや、職場と自宅が徒歩2分という恵まれた環境があってこそできることですが。もし車で1時間もかけて通勤していたら、おそらく続かなかったのではないでしょうか。そして仕事を持ちながら子育てをしていく秘訣は、自分自身のよいマネージャーになること。時間を無駄にしないよう、計画的に行動するように心がけています。
10年後20年後も変わらずに
新しい事業を考えるのは大好きなので、いつも何かしら構想を練っています。アカロアの店で作っているオーガニックのパイやペストリーを、商品として流通させるのが今考えている計画。いずれは日本に向けて輸出できればと思っています。将来の夢は・・・・実はこれが私の夢だったんですよ。ですからもう叶っている、というか叶い続けていますし、10年後にも同じように続けていたいです。レストランという仕事において、時が流れても基本は変わらないと思っています。クラシックはいつの時代にもクラシック。10年後も20年後も、人々はきっとラムを食べているでしょうしね。