Vol.33 時代を飾るキウイ マオリ音楽家ヒネウェヒ・モヒさん


映画「Whale Rider」が世界で賞賛を浴び、ニュージーランド・マオリへの関心と理解が深まって行く中、オークランドでは新しい試みとして、舞台の「Whale Rider」の公演が行われている。映画と同じように海外でお披露目の機会が広がれば、ますますニュージーランド・マオリが注目を集める事になる。この舞台「Whale Rider on Stage」で使われる曲を作詞、作曲し、自らステージに立つのがヒネウェヒ・モヒだ。マオリの伝説や神話をポップ調のリズムに合わせて、マオリ語で唄う「オセアニア」というアルバムでヨーロッパを中心に活動していた事もある実力派だ。
音楽以外にもマオリをテーマとして、テレビのディレクター、プロデューサーとしての顔も持つ。マオリである事にこだわり、マオリの歴史や慣習、文化を知れば知る程、自分の存在が見えて来ると語る。
脳性小児麻痺を患う娘を通して音楽療法と出会い、オークランドの音楽療法センター設立のキーメンバーとなった。今でこそ伝統的なマオリ音楽とは曲調は変われど、学生時代から習ってきたマオリ音楽への愛情と情熱が色あせることはない。

ニュージーランドのシンガーHinewehi Mohi(ヒネウェヒ・モヒ)

Hinewehi Mohi
ヒネウェヒ・モヒ
シンガーソングライター、TVプロデューサー / Singer song writer & TV producer

北島ホークスベイ生まれ。ワイカト大学でマオリ学を専攻。卒業後、オークランドでラジオ・ニュージーランド、テレビジョン・ニュージーランドなどでマオリ語番組のディレクター、プロデューサーとして活躍。1999年に世界に初めて紹介されたマオリ音楽のアルバムとして「オセアニア」をリリース。2004年3月にオープンしたラウカタウリ・ミュージック・セラピーセンターの設立に大きく関わる。オークランド、シビック・シアターで8月21日を初日とする舞台「Whale Rider on Stage」では、自作の曲が多く使われ、自らもステージで唄う。

アルバム「オセアニア」に込めた想い
日頃頭を悩ませる二つの想いがアルバムに込められている

父親はアイリッシュの血を引くマオリで、母親はパケハ(白人)です。ネイピアのセント・ジョセフ・マオリ・ガールズ・カレッジを卒業して、ワイカト大学でマオリ学を専攻しました。マオリの歴史、伝説、伝統、習慣、政治、儀礼、音楽、言語などマオリに関するあらゆる事を勉強しました。その後は、オークランドでラジオ・ニュージーランドやテレビジョン・ニュージーランドでニュースやマオリ文化を紹介するマオリ語の番組を作りました。自ら番組に出てコメントしたり、ディレクターやプロデューサーもこなしました。
しかし、仕事をしている間にさらにマオリを追求したい気持ちが高まり、再びワイカト大学に戻り、マオリ学の博士号を取得しました。マオリ学では音楽も大変重要な位置を占めています。もともと小さい頃から、学校でマオリ語の歌を唄う機会が多くありましたし、唄い、演じる事が本当に好きでした。特別に歌の勉強をした事もありませんでしたが、人前で唄う機会が増えていきました。マオリ語の歌を作詞、作曲し始めたのもこの頃からです。周りの人には私がメディアを通してマオリ語とマオリ音楽を広める事に懸けていると映っていたのではないでしょうか。
アルバム「オセアニア」は1999年にリリースされました。「オセアニア」は伝統的なマオリ音楽が現代的なリズムに出会ったと言われました。世界に初めて紹介されたマオリ音楽のアルバムです。私が作詞とヴォーカルを担当、イギリスのパンク世代の後に活躍したプロデューサー、ジャズ・コールマンと作曲家でマオリ学の教授も務めるヒリニ・メルボルンの3人の共同作品です。曲は全てマオリ語で、マオリのミュージッシャンが伝統的な楽器を使って演奏し、現代的なポップミュージックに仕上げています。
このアルバムには私が感じた日頃の苦しさを報いる意味が込められています。どういう事かと言うと、現代社会に生きるマオリの人たちが伝統的な文化や慣習、伝統を尊重しながら、この先どう生きて行くかという厳しさ。そして、1996年に重い脳性小児麻痺の障害を抱えて生まれて来た娘、ヒネラウカタウリと私の戦い、また、障害を持ちながら頑張って生きて行く娘自身を讃えるアルバムなのです。
「オセアニア」はヨーロッパ、アメリカ、アジア、オセアニアで発売になり、ニュージーランドではプラチナアルバムになりました。さらに、2002年に二枚目のアルバム「オセアニア・」がニュージーランド国内で発売になりました。マオリの祖先が作った素晴らしい詞を使ってマオリの人たちが前向きに生きて行く願いを込めています。

マオリである事は自分を探す事
マオリの全てを知る事で、マオリの方向性が見え、自分が見えて来る

失業率、賃金、年金、漁業権、領土権、教育費、医療費などを巡り、現代社会でマオリがどう存在して行くか、複雑な問題を抱えています。そのために、マオリ政党、マオリ担当大臣、国会でのマオリの議席などがあるわけですが、マオリとして生まれて来たからには、各自が将来のマオリの方向性を考えなければいけないと思います。
私は10歳の時に父親からマオリ語を習い始めました。それから、興味を持ち、約30年マオリの文化、伝説、音楽、慣習、政治などを勉強してきました。マオリに興味を持てば持つ程、自分のアイデンティティは何なのか知りたくなります。どこで、どの部族に生まれたかは分かりますが、そこまで分かると、その歴史はどうだったのかに興味が湧きます。そうすると、自分はその歴史の中のどこにいて、誰なのか、自分を発見したいと思うようになります。
私はマオリとして、音楽を通して自らを発見したいと考えています。祖先の歴史と自らの経験から作詞し、生まれとマオリ文化から曲を作ります。自分で作った曲を唄って音楽と関わる事により、マオリ語とマオリ文化をテレビ、ラジオなどあらゆるメディアを使って世界中に発信し、世界中の人にマオリへの関心を持ってもらいたいのです。それが私のアイデンティティだと思っています。そのハイライトが1999年のラグビーワールドカップでのオールブラックスの最初の試合で唄った、マオリ語でのニュージーランド国歌です。実はマオリ語と英語の両方で唄いたいと言ったのですが、認められず、マオリ語を選びました。今ではオールブラックスの試合にはマオリ語と英語の両方の国歌が唄われるようになりましたが、マオリ語の国歌をラグビーの試合で全世界に紹介したのはこれが最初だと思います。7万5000人の観客を前に、テレビ放映では一億人以上の人に聴いてもらえたのです。

テレビ番組と舞台
担当番組のシリーズ終了後、舞台に集中する

テレビ番組の制作も仕事の一つです。テレビ番組制作会社を経営し、今年3月末に開局したマオリ・テレビジョンでマオリ・パフォーマンスの番組「Kapa Haka」を制作し、プレゼンターを務めています。全国各地で行われる子供や大人によるマオリの踊りと歌のコンテストの模様を放送する30分番組です。今までに約120回の放送を行いました。8月半ばにちょうどこのシリーズが終了しますので、舞台「Whale Rider on Stage」に集中する事が出来ます。
舞台では主人公の女の子を産んで死んでしまう母親の役をやります。映画では死んでしまった後、出演場面がないのですが、回想シーンで登場します。舞台はより原作に近いストーリーを採用しています。さらに、音楽のいくつかはマオリの伝統音楽を使いますが、ほとんどは私の作詞、作曲した曲です。そのために、つい先日、曲を録音し終わったばかりです。舞台の「Whale Rider on Stage」は映画とはひと味違った、ファンタジードラマになっています。映画のように世界中の人に見てもらえるような機会ができれば、マオリへの関心を持ってもらうという私のライフワークの一ページを飾る事になります。

音楽療法に出会う
今年の3月にラウカタウリ音楽療法センターがオープンした

99年にアルバム「オセアニア」のプロモーションでロンドンにいた時、脳性小児麻痺の娘ヒネラウカタウリが音楽に反応して、笑い、何かを表現しようとしたのを見た瞬間、音楽が娘に何かをもたらすと感じました。その時、ロンドンではすでに音楽療法が確立され、音楽で怪我、病気、障害を持つ子供達を治療していました。私は音楽が治療に使える事に驚き、ロンドンとすでに音楽療法を実施していたシドニーのノウハウを使ってオークランドで音楽療法センターを設立する事にしました。
センターは娘の名前とマオリの音楽の神様にあやかってラウカタウリ音楽療法センターとしました。現在は23人の障害、病気、怪我を抱えた子供達が治療を受けています。また、子供だけではなく、大人にも解放していきます。ロンドンの音楽療法センターがイギリス音楽業界からのサポートを受けているように、オークランドでも音楽業界からの援助を受けています。また、一般からの寄付も受け付けています。0900-MUSICTHERAPYで、テレコムの請求書から20ドルが引き落とされ、寄付される仕組みになっています。皆様からのサポートをお待ちいたします。

カテゴリ:歌手
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