Vol.145 オークランド日本語補習学校の教師


オークランド日本語補習学校で教師をしている大友竜也さん。日本、アメリカでの教師の経験を経て、大学卒業後すぐにワーキングホリデーとして来たニュージーランドへ10年前に戻って来た。教師の仕事をしながら趣味のマラソンやスカッシュを楽しみ、家族との時間を大切にしながら充実した生活を送っている。

【Profile】
大友 竜也さん
オークランド 日本語補習学校の教師
1976年5月18日生まれ。茨城県出身。琉球大学教育学部卒業後、ワーキングホリデーでニュージーランドへ渡航。その後、日本やロサンゼルスで教員をし、2004年に再度ニュージーランドへ。
趣味はジョギングやスカッシュで、フルマラソンを走るのが楽しみ。


色々な経歴を経て今の自分がいる

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高校生の時、担任の先生が理科の先生でとても良い先生でしたので、私も教師になりたいと思い、大学は教育学部へ進もうと決めました。自分が育って来た所から出て誰も知らない所でやってみたいと思っていましたので、受験をする大学を選んでいる時、高校の友人はほぼ関東の学校へ進学しましたが、せっかく4年間を過ごすのなら特別なことをしてみたいと、私は北海道の釧路の大学と、沖縄の琉球大学を受けて、どちらかに行きたいという極端な選択をしました。寒い所は苦手だったのと、元々自然科学にも興味があり、沖縄の珊瑚礁や沖縄の歴史などを学びたいと思い沖縄に決めました。高校生の時に椎名誠さんの本が好きでよく読んでいましたが、本の中の世界に憧れたのも理由の一つです。いざ行ってみると、勉強の傍ら泡盛ばかり飲んでいましたね(笑)。平和で楽しい4年間でした。琉球大学では教育学部に通い、理科の教師を目指していましたが、海外で生活してみたいとずっと思っていましたし、海外を見た方が教師として大きくなれると思い、大学卒業後すぐにワーキングホリデーでニュージーランドのウェリントンへ行きました。ワーキングホリデー中は日本食レストランでキッチンハンドをしたりとあっという間の1年間でした。日本へ戻ってからは、すぐに教員の空きがなかったことと、教員の仕事は学校の中の世界で視野が狭くなりがちですので、他の経験もしたいと思い、1年と決めて茨城県で環境調査の会社に務め、その後は、日本の学校で小学校で1年間、中学校で1年間教師をしました。そうして、そろそろ海外へ行きたいなと思い立ち、アメリカのロサンゼルスの日本人学校で1年間働きました。ロサンゼルスの学校は、自動車関係の会社などで働く日本人駐在員の家庭の御子様が多く、進学系の学校でした。小学校6年生と中学生の担当だったのですが、時間割が9時間あり、朝7時半から18時半くらいまで授業をしていましたので、学校と塾がセットになったような学校でした。実は妻と知り合ったのが、日本からロサンゼルスへ向かう飛行機の中だったのですが、飛行機では席が隣りで、ロサンゼルスの学校の職員室でも隣りの席でした。結構ハードな職場でしたので、将来家族の時間を大事にすることを考えて妻と話し合った結果、ロサンゼルスも良いけれど、ワーキングホリデーで訪れた事があるニュージーランドへ行こう、とニュージーランド行きが決まりました。2004年の4月にニュージーランドへ来たので、もうすぐ10年になります。あっという間です。最初は観光ビザで来て仕事探しをし、留学関係の仕事を2年間オークランドでしました。その後、オークランド日本語補習学校の教員募集がありましたので応募しました。応募者50人中2人採用という高い倍率の中運良く合格し、勤務してから早8年となります。

趣味を楽しみながら家族との時間を大切にしている

オークランド日本語補習学校では、14時半~20時半まで勤務しています。空いた時間は趣味のジョギングやスカッシュをしたり、家族との時間を大切にしています。夜は子供達と一緒に9時半くらいに寝て、朝は4時くらいに起きて、少し家事をしてからジョギングをする事が日課です。ニュージーランドで大きいマラソンは、オークランドとロトルアマラソンですが、マラソンの本番の時間にある程度合わせて、普段も朝6時くらいからジョギングをスタートして30分から1時間程走っています。今はウェストオークランドに住んでいて、7時半くらいに家を出て、子供達を車で40分~50分程かかる学校へ送ってから日本語補習学校へ来て、授業まで時間があるので、その日の授業の準備をしたりしています。そして、お昼休みにもほぼ毎日学校の近くをジョギングしています。ロサンゼルスにいた時もマラソンに参加しましたが、35キロくらいの所で残念ながらリタイアしてしまいました。仕事が忙しくてマラソンの練習をする時間がなかったので、残念な結果となってしまいました。マラソン以外には、スカッシュもよくしています。日本でも少ししていたのですが、ニュージーランドへ来る決め手となった理由の一つでもあります。世界的にもニュージーランドのスカッシュは強いですし、日本よりもたくさんコートがあってとても盛んです。休みの日は妻と子供達とビーチへ行ったりと家族で過ごしています。ニュージーランドへ来てから自分の時間があり、趣味のジョギングやスカッシュしながら、希望する教師の仕事もできるという今の生活はとても充実しています。

日本とニュージーランドの教育方針の違い

オークランド日本語補習学校は、2009年にイーストオークランドからワンツリーヒルカレッジに校舎が移転して、シティセントラルに近くなった事もあり生徒数が増えました。ですが、1クラスの生徒数は多くても10名と少人数制で、生徒さんは駐在員のご家庭、国際結婚のご家庭、永住のご家庭や親子留学など様々です。通う曜日や科目は生徒さんによってですが、例えば水曜日に国語2クラスと算数、金曜日に国語・算数・理科・社会などで、教科書は文部省から支給され副教材は全て日本から取り寄せて日本の物を使っています。私立教育のように独自のスケジュールで日本の教育方針からかけ離れたことはしていないのですが、スケジュールは日本の方がタイトだと感じます。日本の学校は行事もたくさんありますし、授業内容や授業計画を細かく報告する必要がありますが、オークランド日本語補習学校はニュージーランドスタイルで日本の授業ができますので、1クラスの人数も少ないので臨機応変な授業ができます。例えば、教科書の理科の解剖のページでは、イカをフィッシュマーケットで買ってきて解剖をして、最後に皆で食べました。実際、教科書には違う物が載っていますが、こちらではニュージーランドの素材を使って、季節に合った旬な物を使うようにしています。そういう自由で大胆なことができるのがニュージーランドの教育の良い所だと思います。授業内容は、日本の学校のように週5日きっちり通うわけではないのですが、国語や算数は日本の教育をカバーできます。理科と社会は全てはカバーできないので、より大事な部分を中心に行ないます。年間指導計画は世界の補習校のベースを参考にしますが、例えば北半球と南半球で季節が違うと、育つ植物が違ったりと指導計画通りに行なうのが難しいこともあるので、学校独自の年間指導計画を作り、それに沿って授業を行なっています。私は、教科書を全部網羅して授業を行うよりも、重点を置いて授業を行なうようにしています。一方、生徒さんたちに敬語を定着させることは難しいですね。生徒さんたちは家庭内ではご家族と日本語で話すことを守っている家庭が多いですが、ご家族とは敬語はあまり使わないので、先生に対しても敬語が使えないことが多いのです。日本独特の敬語の使い回しや、日本の文化も生徒達にも伝えていきたいと思っています。

オークランド日本語補習学校での自分の役割

学校では、単に勉強を教えるだけではなく、生徒や保護者とコミュニケーションをよく取るようにしています。9歳くらいになると補習校へ来るのがつらくなってくるんですよね。1年生2年生の時はみんな楽しく通って来るのですが、英語が染み付いて来る9歳になると「なんで、ニュージーランドにいるのに日本語を勉強しないといけないんだろう。他の友達は遊んでるのに。」と思ってしまいがちなのです。それをよく「9歳の壁」と言いますが、生徒たちに「やれ」というともっとやらなくなりますし、かといって「やらなくていい」というと本当にやらなくなってしまうんですよね。私も子供の時そうでしたから、気持ちがわかるんです。一緒に遊んだり、ソフトボール大会などのイベントも楽しみながら、長い目で見て、生徒達がやりたくないという気持ちもわかる、というのを頭の片隅に入れつつ授業をしています。通知表は1年に2回、前期と後期でありますので、昔は「落ち着きがありません」と書くこともありましたが、今は「授業中はメリハリをつけて発言しましょう」「前向きに取り組みましょう」と前向きに書くようにしています。これからも生徒達に、日本語の大切さ、日本の教育の重要さを授業を通して教えていきたいと思っています。

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