ワーホリでニュージーランドに来てから14年。ずっとクライストチャーチのOKギフトショップでキャリアアップしてきた吉金さんに突然転機が訪れた。かねてから憧れだった街、クイーンズタウンに家族で引越し、新しい支店を立ち上げた。9月28日の開店以来、滑り出し好調のOKギフトショップ クイーンズタウン店がそれ。このインタビューのためにオークランドに飛んできた彼に聞く。
【Profile】 |
不幸中の幸い
地震があったあの時、クライストチャーチ店長だった私は、部下と一緒に空港近くにあるニットウェアメーカーヘ商品を受け取りに行く途中でした。車の中でも揺れを感じ、「かなり大きな地震だな」とは思いましたが、空港近辺での建物損壊は見当たらなかったので、取り急ぎ先方につくと、そこの人たちは大騒ぎでした。「新しい商品どころじゃないです。大聖堂が崩れ落ちて、CBDはとんでもないことになっていますよ」というのです。私は大慌てで、CBDにある私の店を目指しました。店長としてスタッフやお客様の安全を確保するのは使命です。電話は不通になっていたし、私は不安いっぱい、焦燥感いっぱいで、郊外へと避難していく車の流れに逆らって進んでいきました。市街部に近づくにつれ混乱はひどく、道路もとても混雑していました。ハグレー公園のあたりでとうとう立ち往生してしまい、そこで車を乗り捨てて徒歩で店に向かいました。途中で何度も警察官に止められて、何度も「私は責任者だからどうしても自分の店に行かなければならない」ことを必死になって訴え、ずいぶん遠回りさせられながらも、ようやく大聖堂そばにあった店の近くにたどり着きました。今になって思えば、不幸中の幸い、だったのですが、その日のほんの数日前にたまたま新しく地震の際の避難場所が決めてあったのです。その新しい避難場所ビクトリアスクエアでスタッフ全員が確認できました。店は壊れて無残な姿になってしまいましたが、スタッフにも居合わせたお客様にもたいしたケガはなく無事でした。とてもホッとした、あの感覚は忘れられません。
若い街での新しい出発
会社のニュージーランド総支配人ダラン・ブラウンが翌日オークランドから対策に飛んできて、今後どうするかを検討しました。1960年代からテレビなどで大活躍した著名人、大橋巨泉が海外で始めたおみやげもの屋OKギフトショップ、クライストチャーチ支店は、1988年にオセアニアでの第1号店としてオープンした店舗でした。店舗立ち上げのときのスタッフが、店があった建物が地震で壊れ、さらに取り壊されて更地になったのを、どんな思いで見たことでしょうか。とにかく、会社は新しくクイーンズタウンに店を出すことになりました。私はその店長として、店を一から作り出すことになりました。クライストチャーチ店にいた20人ほどのスタッフのうち、数人が私と一緒にクイーンズタウンに来て、またオークランドのスタッフの協力もありチームを組んで新店舗立ち上げのプロジェクトに取り組みました。新コンセプトの、いわゆる「みやげもの屋」のイメージにとらわれない、地元の人たちにも立ち寄ってもらえる店作りを目指しました。壁の色から、商品棚の建材、ディスプレーキャビネットの配置などなど、いちいち細かく詰めていくのはとてもたいへんな作業でしたが、皆で新しく何かを作っていく、という前向きの楽しさがありました。7月の初旬から9月末までかかってやっと店が完成。OKギフトショップのクイーンズタウン店は9月28日に晴れてオープンしたのです。ビーチストリートに面するショーウインドウにはクラフトが展示されて、アートギャラリー風のたたずまい。でも奥にはお土産として人気のメリノ製品やニュージーランド特産品が多数そろっている、そんな店です。シーズンごとに人口の半分近くが新しく入れ替わるといわれる流動的な若くて活気のある街、クイーンズタウンにふさわしいギフトショップができたと自負しています。
ニュージーランドは子供を育てるのにいい環境。
私がニュージーランドに来たのは、3ヶ月ほど英語を学ぶだけの目的だったんです。それまで勤めていた会社にも、ほどなくニュージーランドから戻ったら再就職する意思を伝えてありました。それが、この国に滞在する期間が長くなるにつれ、次々に出会う新しい出来事、美しい自然、そして何よりも暖かいニュージーランドの人々に、いつの間にか魅せられて、ワーホリビザが切れる頃にはニュージーランドで暮らしたいと思うようになっていました。当時、私はクライストチャーチの免税店で働いていましたが、その勤務先ではワークビザがもらえませんでした。でもフラットメートの紹介でOKギフトショップに移ることができ、ラッキーなことにワークビザもおりたのです。1998年の夏でした。
それからはずっとOKギフトショップのクライストチャーチ店で働きました。まずは、普通のショップスタッフから始まって、数年してフロアスーパバイザーに昇格し、それからアシスタントマネージャーを経て、2010年にはマネージャーになりました。実は、私はワーキングホリデーでニュージーランドに来た1997年に一度クイーンズタウンを訪れて、仕事を探したことがあります。スキーシーズンに入ってまもなくの時期だったので、タイミングが悪く、残念ながら仕事を得ることができませんでした。その時このクイーンズタウンで妻の陽子と出会いました。運命っていうか、不思議なものですね。今では、5歳と8歳の子供がいます。ニュージーランドは子供を育てるのに良いところだと思います。私の子供たちは、TVゲームをあまりすることなく、外でのびのびと遊んでいますよ。また、生まれながらにして世界のいろいろな人と交流できる環境は子供の将来にかけがいのない宝物だと思います。